今のCDは、メディアではなくインターフェースなのかも。
下書きのまま4ヶ月ほど放置してしまっていたので、いまさらながら仕上げました。
『sounds39』に何か役立てることはないかと思い、3月にVOCALOIDオンリー同人イベントに足を運んでみました(sounds39 Collectionリリース以前)。
もちろん薄い本もありましたが、どちらかというとボカロPや歌い手の方がCDを販売するイベントでした。実はこういうイベントって、コミケに冷やかし参加した程度でほとんど行ったことがありません。
行ってみて、なんだかんだ「CDは無くならないな」と感じた。
もちろん売上は下降していくでしょうが、無くなりはしない。ただ、その役割が本来とは別の方向にシフトしていることに気がついた。
やっぱりわたしはCDを音楽聞くために買ってなかった
http://mogmog.hateblo.jp/entry/2013/06/04/022304
もはやYouTubeがSoundCloudが、わたしの音楽体験の真ん中にあるんだなって思う。いや当たり前なんだけど。だからリアルが入ってくるとテンションあがる。普段完全に受動だから聞いてるしかないから、こっちからなんかできるのが話せるのがすごいことのように思える。向こうから動画やらテキストやらもちろん音楽やらで発してくれているのを見られるからこそ、「いつもありがとうございます」って感じになる。ネットで聞ける曲でも買う。順番が逆だ。いつも聞いてる曲をあとから買ってることになる。
「いつも聞いてる曲をあとから買ってることになる。」
まさにこの感じ。
ファンとアーティストが言葉を交わすきっかけにCDがある。”繋がる”ために必要なもので、これはもはやインターフェースなんじゃないかと感じた。
言葉を交わすために『CDインターフェース』がファンとアーティストを繋ぐ。
すいません、既存のものを他のワードに言い換えてみたかったんです。
ほとんどの音源はニコニコ動画やYouTubeで視聴ができる、むしろそこがないと何もはじまらない。
ボカロ曲はほぼほぼ無料視聴からスタートするので、「CDを購入して音源を手に入れる」という欲求は変で、それよりも(同人イベントで)購入する際のコミュニケーションだったり、物質を所有することで深く繋がった感じがほしい。
なんかこういうのって日本人ぽいなぁなんて思いましたとさ。